HISTORY

BRAND STORY

C.N.ウィリアムソンとE.E.ディッキー。Dickiesの共同創業者であり、いとこ同士である2人がワークウェアの生産を開始したのは1920年代。国中がアメリカンドリームの実現に向けて沸くまっただ中でした。2人は全米各地の「働く現場」を回り、農夫や鉱夫などそれぞれの仕事に必要な作業着の特性を調査。労働者のニーズに合わせ様々な工夫が施された製品は、またたく間にアメリカ全土に深く浸透していきました。

第二次世界大戦中は政府の要請を受けて、何百万枚もの制服を生産。その間も物作りへのこだわりが途切れることはなく、大戦後の50年代、地元テキサスの石油労働者向けに作り出したのが、今なお世界で最も愛されるワークパンツ「874」です。

丈夫で汚れにくくどんな体型の人にもフィットする“労働者の声を聞く”というDickiesのアイデンティティーから生まれたこのパンツは爆発的にヒットし、世界各地の労働現場へと広がっていきます。その姿勢はその後も脈々と引き継がれ、Dickiesのポリシー「FIT YOU,FIT YOUR JOB」の礎となっています。

90年代には、全米にストリートカルチャーのブームが到来。西海岸のスケーターたちが丈夫で価格も手ごろな「874」を愛用したことで、各分野のアーティストへも浸透。人気は日本や世界各地のカルチャーシーンへと飛び火し、やがてDickiesはワークウェアとしてだけでなく、ファッションブランドとしての地位も確立します。現在はヨーロッパ、アジア、南米、アフリカなど世界110ヵ国以上でDickiesブランドの商品が販売されています。

BRAND HISTORY

1980

世相にあったカジュアルアイテムが登場

1970年代末~80年代になると、アメリカに自由で開放的な空気が流れ始め、Dickiesをワークウェアとしてでなく、ファッションとして着用する人々も登場。Dickiesもニーズに応えるべく、大胆な色使いのアイテムなどを次々と発表し始めた。
ワークウェアからインスパイアされた多色のファッションを来ている人が載っているDickiesのポスター。

1970

ファッション性の高い商品を試験的に提供

ワークウェアブランドとしての地位を確立したDickiesは、1970年頃から、ファッション性を高めた商品ラインを試験的にスタート。
はさみで切られたワイドパンツが載っているDickiesの記事。

1967

「874」ワークパンツを発表

Dickiesのアイコン的商品である「874」ワークパンツを発表。
874のロゴが載っている生地。

1962

タイガーシリーズ広告

『PLAYBOY』誌に掲載された広告シリーズ。<キャンパスの虎たちはディッキーズを穿くものだ!>という、かなりアグレッシブな内容。
Dickiesのタイガーシリーズ広告。

1960

生産拠点を海外へ拡大

1960年には、カリブや南米にも生産拠点を展開。1970年代末には、アメリカのワークウェア界のニーズを独占するほどに成長した。
白黒の衣料品製造所の写真。

1959

人気歌手Pat Booneが広告塔に

当時、Elvis Presleyと並ぶほどの人気を博していた歌手のPat Booneを広告塔として起用。広告では、清潔感があり、優等生的な彼のイメージを全面に出し、Dickies的なキャンパススタイルを提唱している。
Dickiesのキャンパススタイルの服を着ているPat Booneが載っている広告。

1954

"FIT YOU, FIT YOUR JOB"

"FIT YOU, FIT YOUR JOB(あなたにもあなたの仕事にもフィットする)"。
1954年の広告に使われているこの謳い文句は、まさにDickiesのポリシーを体現したスローガンとして、現在でもDickiesの物づくりの礎になっている。
Dickiesのワークウェアの広告バナー。

1951

"Men of Production"

この時代のスローガンは、"Men of Production(物づくりにかかわる男たち)"。写真の<ウォーキングマン>は、Dickiesのアイコン的存在として、1954年までの広告にたびたび登場した。ただし、キャラクターの職業や体型はさまざまで、Dickiesがどんな職業、どんな体型の人にもフィットすることを表現しており、この広告を通じて、Dickiesはワークウェアとしてより深く浸透した。
Dickiesのワークウェアの広告バナー。[ Men of Production(物づくりにかかわる男たち)] と書いてある。

1950

KHAKIのワークウェアが爆発的ヒット

第二次世界大戦後、兵役を終えた人々がアメリカに戻り始めると、作業着の需要も復活。そうした中、地元テキサスの石油労働者向けにカーキのワークウェアを売り出したところ、爆発的なヒット商品に。テキサスの労働者たちは、赴任先の中東でもDickiesのワークウェアを愛用したことで、Dickiesが世界各地の働く現場へと浸透するきっかけとなった。

1941

陸軍の制服にも採用

1941年にアメリカが第二次世界大戦に参戦。Dickiesはその確かな物作りが認められ、政府公認の衣料としてアメリカ陸軍のために900万着以上の制服を生産した。

1923

KHAKI is Dickies

Dickiesの大定番「874」ワークパンツの原型となる、KHAKI(カーキ)パンツの生産をスタート。

1922

Williamson-Dickie Manufacturing Companyを設立

1922年、C.N.Williamsonと、C.Don Williamson、E.E.Dickieが、U.Sオーバーオール社を買収。社名を"Williamson-Dickie Manufacturing Company"と変え、現在のDickiesが誕生した。C.N.Williamsonが社長、E.E.Dickieが副社長、C.Don Williamsonが経理を担当した。

1918

U.S.オーバーオール社を設立

1918年、従兄弟であるC.N.WilliamsonとE.E.Dickieが数人の仲間たちと、テキサス州フォートワースにU.S.オーバーオール社を設立。
従兄弟であるC.N.WilliamsonとE.E.Dickieの白黒の写真。

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